建築士の会
これまでに行なった見学会や講習会の行事の報告をスナップ写真と共にお伝えいたします。
わくわく探検(駅前シリーズ)第20弾
2023/11/25
●日時  2024年11月25日(土)
●集合  近鉄信貴線服部川駅
●講師  若松博恵氏(元東大阪市教育委員会文化財課)
●コース
俊徳丸鏡塚古墳~佐麻多度神社~おかげ燈籠~八尾市立歴史民俗資料館愛宕塚古墳~向山古墳
~心合寺山古墳(八尾市立しおんじやま古墳学習館)
●主催/(公社)大阪府建築士会 「建築士の会東大阪」
●スタッフ/(公社)大阪府建築士会「東大阪」幹事

俊徳丸鏡塚古墳 しゅんとくまるかがみづかこふん
 高安古墳群に含まれる古墳時代後期(6世紀)の横穴式石室を持つ円墳ですが、当地が謡曲弱法師(よろほうし)、浄瑠璃摂州合邦ヶ辻(がっぽうつじ)で名高い俊徳丸の故地とされていることから、いつのまにか俊徳丸のお墓とされたようです。
 俊徳丸は歌舞伎、浄瑠璃の演目であることから、多くの役者がここを訪れており、明治から昭和に活躍した歌舞伎役者寄進の石造物があり、石室の入口には実川延若じつかわえんじゃく寄進の焼香台、松本幸四郎(7代目)寄進の手水鉢が、古墳の東側石垣には6代目尾上菊五郎寄進の燈籠の石があります。

佐麻多度神社 さまたどじんじゃ
 山畑の産土神(うぶすなしん)で、祭神は佐麻多度大神とされています。 延喜式内社で、旧社地は100m上の谷口天神山にありましたが、明治32年(1899)現地に移りました。 江戸時代までは天神社と呼ばれていましたが明治時代に現在の名称になったようです。
 境内には力石あるいはさし石とも呼ばれる石があり、かつて村の青年がこの石を持ち上げて力くらべをしました。 石は一石三斗石(いっこくさんといし)、一石石等いろいろな重さがあり持ち上げ方も肩上げ、両ざし等の規定がありました。

おかげ燈籠 おかげとうろう
 おかげまいりとは、老若男女、貴賤貧富の差なく民衆が一生に一度お伊勢参りをすることで江戸時代末に流行しました。 この燈籠は大窪の村民が天保2年(1831)におかげ参りを行った記念に建てたもので、八尾市内では唯一のものです。

八尾市立歴史民俗資料館
 昭和62年11月に開館した八尾市立歴史民俗資料館は八尾市内の文化財の調査研究、収集・保存と展示・公開する施設です。今回は常設展示「大和川流域と高安山 -その他歴史と文化-」企画展「恩智遺跡 -八尾で最も古いムラ -」を見学します。

愛宕塚古墳
 古墳時代後期の円墳で、墳丘の大きさは直径約35m、高さ約6.5mあります。埋葬部分は両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)で全長15.7m、玄室(げんしつ)部分は約19.6㎡(約11畳)の大きさがあり、大阪府下でも最大級の規模です。
 被葬者は明らかではありませんが、当時の八尾を中心とした地域は物部氏(もののべし)との関係が深いため、物部一族の墓という説もあります。
 盗掘を受けて凝灰岩(ぎょうかいがん)製の家形石棺(いえがたせっかん)は破壊されていましたが、捩じり環頭大刀(かんとうたち)をはじめとする武器、鉄地金銅張り(てっぢこんどうばり)の馬具、ガラス玉の首飾り、須恵器等の豪華な副葬品の一部が見つかっています。
 古墳は大阪府指定文化財となっていますが、出土遺物も大阪府指定有形文化財となっています。

向山古墳 むかいやまこふん
 向山古墳は、墳丘の形や埋葬施設は明らかではありませんが、全長55m程度の古墳時代前期の前方後円墳と考えられています。また、南側の池の斜面を利用して平安時代後期ごろの瓦窯が築かれ、この窯で焼かれた瓦が、宇治平等院や醍醐寺などで使用されました。

心合寺山古墳・八尾市立しおんじやま古墳学習館
 心合寺山古墳は、全長160mの中・北河内最大の前方後円墳で、昭和41年に国の史跡に指定されました。
中河内地域を治めた古代豪族の墓と考えられます。平成4年から史跡整備に伴う発掘調査が行われ、埴輪列や埋葬施設など古墳の姿が明らかになり、鏡・甲冑などの副葬品のほかに「水の祭祀さいしば場を表した埴輪」に代表されるさまざまな埴輪が出土しました。平成17年に整備が完成し、造られた当時の墳丘の形や葺石、埴輪列
などが復元されています。古墳の西側には心合寺山古墳のことを学習でき、再現された埋葬施設や埴輪など出土品を展示している「八尾市立しおんじやま古墳学習館」があります。

クイズの解答と賞品授与
 最後は今年もお待ちかねクイズの解答発表と豪華?賞品の授与です。
偶然にも1等が若松先生、2等が本日のコースの企画していただいたリーダーの今西さんになりました。
不正はありません。多分・・。
 一等賞の若松先生。今年もありがとうございました。
 2等賞の今西リーダー。以下は上位の人から順に掲載