これまでに行なった見学会や講習会の行事の報告をスナップ写真と共にお伝えいたします
2005/6/25
【概要】
柏原・玉手山を訪れ、尾張徳川家ゆかりの名刹・安福寺と日本でのコンクリートシェルの先駆けとなる構造を採用した旧高岡石松邸(現天理教北阪分教会、登録文化財)の見学会と、平成20年度の活動報告を行ないました。

安福寺は、尾張徳川家の庇護のもと江戸時代に興隆した浄土宗の名刹です。本堂をはじめとする建物群と新緑の映える池泉式庭園との見事な調和は、柏原随一の景観です。当日は、大ア信宥住職に境内をご案内いただくともに、その歴史についてご講話いただきました。
 旧高岡石松邸は、1938年に建設された和洋折衷の外観を持つ建物です。一見すると八角形の塔屋が印象的ですが、その構造体は、鉄網にモルタルを鏝塗りすることで形成するという1950年以降に興隆するコンクリートシェル構造の先駆けとなる、およそ当時としては実験的な手法が用いられています。
 地域遺産についての貴重な学びの機会を得ました

【行事報告】
小雨がぱらつく、あいにくの天気でしたが24名の参加がありました。
予定どおり、1時過ぎに近鉄道明寺駅を出発。
すぐ近くに架かる「5径間」で唯一の吊り橋である玉手橋を見学、川辺へ降りて下から見上げる写真を撮る方も、そして橋を渡り玉手山にある安福寺へ、門をくぐると両側に横穴古墳群があり、案内板によると6世紀中頃に造られたもので、府下では高井田古墳群と安福寺古墳群の2ヶ所だけで、大阪府指定文化財である。

参道を登り本堂に、大崎住職の出迎えを受け本堂内へ案内される。
挨拶に続き、大崎住職の講和となります。
このご住職のお話がとても興味深いもので、本堂の建築様式(珂憶造り)尾張徳川家の菩提寺として、2代目当主、光友公と珂憶上人との関係,収蔵の絵巻等、話題が尽きず予定を30分も過ぎてしまいました。

お話の間に雨もすっかり上がり、ご住職の案内で境内散策。
最後に尾張候の御廟を拝見。(光友公、夫人、嫡子の3名が祀られている)
安福寺をあとに、旧高岡石松邸(天理教北阪分教会)へ向かう。

途中、玉手山2号墳、3号墳、大阪夏の陣戦場跡と通ったが、2号墳は前方後円墳の形状が確認できる墓地となっていた。
旧高岡石松邸では、現所有者の石川様が広間を開放して向かえてくださいました。

予定を30分過ぎていましたが、休憩の後、2班に分かれて見学。
この建物はモーラ式建築と呼ばれ、鉄線を鎖状に繋ぎ合わせた鉄網にコンクリートを左官鏝で塗りこんで構造体を造るという工法である。
主屋、倉庫、地下室と、それぞれに見事な石膏彫刻があり、主屋の階段親柱にはモザイクタイルが張られた上部に焼き物の獅子が鎮座している。
外壁には鎖状の鉄網の装飾や鳳凰のレリーフ等、繊細な左官技術が見られる。
また、外壁の一部にはデザインとして、鎖状の鉄網が露出しているが、竣工後、約70年が経過しているにもかかわらず、錆びていないのには驚かされる。

時間の関係で短い見学になったのが悔やまれます。
玉手橋〜安福寺〜旧高岡石松邸と国分地区を横断し、予定通り5時20分近鉄国分駅に到着、解散となりました。