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●日時 2025年12月13日(土)
●集合 近鉄けいはんな線 吉田駅 9:00
●講師 若松博恵氏(元東大阪市教育委員会文化財課)
●コース
1.大津神社ー2.賽の神神社-3松原宿の跡-4.松尾芭蕉碑-5.花園ラグビー場-6.吉田春日神社ー近鉄花園駅
●主催/(公社)大阪府建築士会 「建築士の会東大阪」
●スタッフ/(公社)大阪府建築士会「東大阪」幹事
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集合 近鉄けいはんな線 吉田駅 |
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2年ほど前に同じ吉田駅から北西向けて荒元駅(東大阪市役所)まで歩来ましたが、今回は旧大和川の1本(吉田川)に添って南に向けて近鉄花園駅まで歩きます。
まず、駅で開会セレモニー。行程の概要、配布資料や注意事項、先生の紹介とクイズ・賞品の説明を行いました。 |
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大津神社 |
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大津神社は東大阪市水走(みずはい)に鎮座する式内社です、創建は平安時代です。御祭神の「大土神」は「古事記」に登場する神で、大歳神と天知釈迦流美豆比売との間に生まれた神である、この神が当社に祀られるようになった経緯は全く不明である、また天児屋根命の乳母であるという「津速比売」を祭神とする説もある。
当社の地名は「大津」は大いなる津の意とすると、当地が草香江(古代河内湖)の港湾となっており港の守護神として創建されたものと考えられる。この地を開発した水走氏の拠点であり、大津神社に中臣氏(藤原氏)の氏神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られているのも、水走氏が中臣の一族であったと考えられる、水走も吉田春日神社のある吉田船場も船が活躍した水辺の地である。
しかし草香江が時代を経て陸地化していくにつれ東都の性格も変わり、祭祀形態や伝承も失われていったのかもしれません。 |
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澤田千佳良家住宅 |
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大津神社の西側に位置する澤田千佳良家住宅は、桁行6.5 間、奥行3.5 間の建物で大和河内地方の特徴である4 間間取りである。土間の垂れ壁は煙返しといい、今でいう防煙垂れ壁のようなものがあり、梁、柱が古の趣を感じさせている。
澤田千佳良さんは、「真空蒸着」の技術の開発者あり、現在宇宙を飛んでいる衛星のアンテナは重量を抑えるためプラスチックで作られ、送信機能を持たせるため、アルミをミクロン単位の均一さでコーティングする、この匠の技が澤田さんの仕事、環境観測技術衛星『アディオスⅡ』などの4
個のアンテナ製作にかかわる |
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吉田川の堤跡 |
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吉田川の東側の大津神社から吉田川を渡りかつての西側の堤を歩いて、賽の神神社へと向かう。
吉田川の堤を歩いていくことになる、道幅が半間程度である
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賽の神神社 |
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公園から堤沿いに南下し、220.0mぐらいで賽の神神社(道祖神)にたどり着く。
宝永元年(1704)の大和川付替え後、旧吉田川の左岸の小高い堤上に祀られる、御神体は自然石で道行く人を災難から守り、村人の安全、若い人の縁結びなど霊験あらたかな神と言われている。この位置は吉田春日神社の「艮」の方向になり、現在の社殿は昭和14
年(1939)に村の人からの寄進があり「賽の神神社」として整備される、以後、奉賛会が結成されて玉垣や参道の階段等が整備された。
昭和61 年(1965)今までの樽御輿の奉納運行から太鼓台の奉納運行が行われるようになり、今現在に至っても大変な賑わいを見せている。 |
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松原宿の跡 |
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賽の神神社から吉田川跡地を渡り東側の堤にたどり着く旧吉田川の堤を南下し暗越奈良街道の曲がり角に、道しるべがあり「右ならいせ道」「左大坂道」とあります。「松原宿」は吉田川と暗越奈良街道が交差する場所で、江戸時代には吉田川の右岸に沿って設けられた幕府公認の宿場街である。
堤から離れて南下していくと英田(あかだ)北小学校の通用門脇に松原宿の碑があります、暗越奈良街道の宿場町、江戸時代に脇循環として発達した街道である。1655〜1658年以降、幕府が松原宿を設けました。街道とは五街道以外の主要な街道のことである。
1964 年の記録によると16 軒の旅籠があったそうです、松原村自体、街道と水運で交通の要所であったようですが、大正以降は現代交通網の整備により主軸から離れてしまいました。英田(あかだ)北小学校の通用門にある石碑と解説版は、2012
年に設置された。 |
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松尾芭蕉碑 |
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芭蕉碑は東大阪市の花園ラグビ−場横にある吉田墓地にある。
故郷の上野から大坂へ向かう道中、この地を訪れ体調が優れない中での最後の旅は、大坂にいる二人の弟子を和解させるためでもあったと言われている。暗越奈良街道沿いにあるこの町を通行中、体調を崩してしばらく滞在し、その時に地元の人達に俳諧の手ほどきをしたとのこと。この地域に芭蕉の俳諧を慕う文化人が集まり、芭蕉の150
回忌にあたる1843 年(天保14 年)頃に、この碑が建てられたそうだ。
暗超奈良街道は大坂から奈良へ通じる旧街道として4〜500 年前に開けた街道です。大坂から生駒山地の暗峠を超えて奈良(平城京)に至る街道で奈良街道、伊勢参宮街道の一つである、この街道が開けていない昔は、日本最古の国道である竹内街道が唯一のもので、奈良街道よりははるかに長いコ−スでした。 |
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花園ラグビー場から英田小学校の雨水貯留施設 |
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ラグビ−が日本伝わったのは、明治32 年(1989)に慶応の学生に指導したのが始まりである。ラグビ−場開設には2 説あり1 つは昭和3 年(1928)、秩父宮殿下が関西を旅行中、車中で「この辺りにラグビ−場」と話され翌年、もと競馬場であったこの地に造られた。他説は昭和3
年に、当時来阪された秩父宮殿下が、当時の大軌、現在の近鉄の社長やラグビ−関係者にラグビ−場施設を作ると話された説がある。
芭蕉碑から旧吉田川の西側の堤に沿って南東に下る 途中に英田南小学校の雨水貯留施設の案内をみる。 英田小学校の運動場は、大雨の時に雨水を地表で貯留して少しずつ流し、浸水を防ぐ大切な役目をしています。
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瓢箪絵文字 |
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旧吉田川堤に面している西昌寺横に「瓢箪絵文字」?の道標あり 。
西昌寺の本尊は元禄 12 年の銘のある美しい姿の阿弥陀如来ですが、境内には慶長14年(1609)の銘のある十三仏板碑がある。碑は近畿では珍しく上部が三角形で高さ
100cm巾 55cm砂岩に十三仏を二段(上段中央一体、左右に各三体、下段に六体)に配している。十三仏は、初七日から三十三回忌に至るまで、十三回の供養、仏事に使われていた。
また一貫上人の建てた地蔵堂には、地蔵菩薩像が祀られている、菩薩像は作者、年代も不詳だが一本木造りで等身大の立派な像で彫りの深さや丁寧さから見て鎌倉中期の作品と考えられる貴重な地蔵菩薩。菩薩は室町時代に洪水の後、上流から吉田川に流れてこのあたりに漂着。 |
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吉田春日神社 |
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吉田春日神社は「ラグビ−の守り神」でラグビ−神社とも呼ばれており、境内に大きな木製のラグビ−ボ−ルが奉納されている。年末年始の全国高校ラグビ−大会やジャパンラグリ−ワンの開催期間にはラグビ−関係者やラグビ−ファンが訪れます。 |
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クイズの解答と賞品授与 |
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最後は今年もお待ちかねクイズの解答発表と豪華?賞品の授与です
今年は自衛隊グッズもあってちょっと豪華な賞品になり盛り上がりました。 |
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| 1等賞 |
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2等賞
以下は上位の人から順に掲載 |
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